映画『100,000年後の安全』と福島第一原発事故


2011年3月11日午後2時46分、
三陸沖を震源とするマグニチュード9の巨大地震が起こった。
地震発生から数十分後、未曾有の大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、
街はことごとく破壊され、多くの尊い命が奪われた。
悲しみに暮れる間もなく、さらなる悲劇が福島を襲う。
地震によって福島第一原発の原子炉は自動停止したが、
高さ14メートルにも及ぶ津波が原発に押し寄せて全電源が喪失。
原子炉や使用済み核燃料を冷却する機能が失われたため、
高レベルの放射性物質が大量に外部に漏れ出し
深刻な原子力事故を引き起こした。
4月12日、事故のレベルが「7」に引き上げられる。
とうとう「福島」は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故と
同じ扱いを受ける事になってしまった。
事故から2ヶ月経った現在も事態は収束せず、
依然として深刻な状態が続いている。
 
今回の事故が起こるまで、私は原発について考えたことがなかった。
10年前に、佐賀県の玄海原子力発電所近くにある
玄海エネルギーパークへ行ったことがあるが、
原発に興味があって訪れたわけではなかったので
パーク内がきれいに整備されていた事しか記憶に残っていない。
しかし、ひとつだけ印象に残ったものがあった。
それは売店に並んでいた炎の形をしたぬいぐるみである。
頭の部分が朱色の炎の形になっていた。
福島第一原発の事故が起きて、ようやく私はこの「炎」の実体を知ったのだ。
 
「原子力とはいったい何なのか?」
「広島や長崎に落とされた原爆とどう違うのか?」
「原発からなぜ放射能が漏れるのか?」などなど、
事故が起きてから、私の脳裏には様々な疑問が浮かび
暇さえあればパソコンの前に座っていた。
 
ある時、『100,000年後の安全/Into Eternity』という核廃棄物を扱った映画が
渋谷のアップリンクで緊急上映されている事を知り、
早速観に行こうかと思ったが、
上映回数が少ない上に
連日満員だと書いてあったので断念した。
引き続き、映画の公式サイトにアクセスしていたら、
神奈川県でも上映される事がわかり
4月30日に都筑区の港北ニュータウンに足を運んだ。
 
それはフィンランドに建設中の
放射性廃棄物の最終処分場を取材したドキュメンタリー映画だったのだが、
まさに今、日本が抱えている問題と直結していたので
映画が終わった後、私はしばらく呆然とし、涙が自然とあふれてきた。
「なぜ福島がこんなひどい目に合わなくてはならなかったのか・・・?」
その理由がわかり、絶望感に襲われたのだ。
原発周辺地域に住み、先祖代々の土地を守ってきた住民の方々の心中を思うと、
やりきれない気持ちでいっぱいになった。
 
今回、日本で起きた原発事故の原因はチェルノブイリとは全く違うのである。
アメリカで起きたスリーマイル島の原発事故とも違う。
なぜなら、チェルノブイリもスリーマイルも人為的なミスが原因で事故が起きている。
福島第一原発は地震による大津波によって事故が起きてしまった。
関係者は「想定外」という言葉を繰り返していたが、
そもそも、原発を「地震大国日本」に造ること自体間違っていたのだ。
映画を観てそう確信した。
 
この映画は、核のゴミと言われる放射性廃棄物が
いかに危険であるかを教えてくれた。
フィンランドではそれらを永久保管する場所として、
岩盤層の地下500メートルに「オンカロ」
(フィンランド語で"隠し場所"という意味)を建設し
フィンランド中の放射性廃棄物をそこに集めて、
満杯になる100年後に入口を封鎖しようという計画が進行中である。
オンカロはどこでも建設できるというわけではない。
永遠に地震や火山の噴火が起きそうもない場所を選んで建設するそうだ。
 
なぜフィンランドの政府は世界初のオンカロを建設しようと思ったのか?
それは「地上の世界は不安定で、
いつ戦争や天変地異が起きてもおかしくない状況だから」という理由である。
つまり、今生きている人間が核の廃棄物を突然管理できなくなる日を想定して
遥か彼方の未来に生きる人類を守るためにオンカロを建設することにしたのだ。
ある専門家は地上に再び氷河期が訪れる事まで考えていた。
放射性廃棄物はそれ程までに恐ろしい代物なのだ。
 
原子炉で使用された核の燃料棒はその役目を終えると放射性廃棄物になる。
それにはウランやプルトニウムが大量に含まれており
建屋の最上階に建設されたプールに3〜5年貯蔵される。
ウラン燃料は核反応を終えた後でも熱を出し続けるため、
絶えずプールの水を循環させて冷却する必要がある。
そうしないと燃料棒が破損して
高レベルの放射性物質が大量に放出されてしまうからだ。
その後、廃棄物は再処理工場、
もしくは放射性廃棄物処理場に運ばれて保管される。
 
では、放射性廃棄物が人間による厳重な管理を必要としなくなるまで
どのくらいかかるのだろうか?
この映画によると、「10万年」先だそうである。
要するに、放射性廃棄物が野ざらしなっていても安全という状態になるまで、
10万年もかかるのである。
 
「10万年・・・・・・」
 
今から10万年前、人類は誕生していたのだろうか?
氷河期が終わった後、約20万年前にホモ・サピエンス(現代人)がアフリカに出現し、
約10万年前に現代人が世界各地に拡がっていったと歴史の教科書に書いてある。
それを考えると、「10万年」がいかに気の遠くなるような年月か
おわかりいただけるだろう。
 
今までは原発に関心がなかったので気が付かなかったが
大惨事になりかねないような故障がどの原発でも少なからず起きている。
そして私達の知らない間に核分裂で生じた低レベルの放射性物質が
大気や海に放出されていたのだ。
それらは無色透明で無臭だから、人間の五感で察知することができない。
たとえ微量でも、
放射性物質はあらゆる生物の遺伝子に傷をつけることがわかっている。
しかし個体差があるため、それがいつ表面化するか予測がつかないのである。
急性症状が出れば放射性物質がいかに危険であるか実感できるが
通常は緩やかに作用していくので、
人間はどうしてもその危険性に対して鈍感になってしまう。
 
日本で初めて原子力による発電が行われたのは1963年10月26日で、
場所は茨城県の東海村に建設された実験炉だった。
その後、商用の原子力発電所が次々と建設され
現在17箇所54基の原子炉がある。
日本における原発の歴史は50年にも満たないのに、
早くも地震による深刻な原子力事故を起こしてしまった。
これはいったい何を意味するのだろうか?
 
昨年の8月に『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』を出版した
作家の広瀬隆氏が3月19日のインタビューで以下のような警鐘を鳴らしていた。

「青森の六ヶ所村には3000トンのプールがあって
そこには日本全国から集まった放射性廃棄物(死の灰)が保管されているんです。
既にそこは満杯で、もしも今回のような事故が六ヶ所村で起きたら、
日本どころか地球が吹っ飛びます。そのぐらい六ヶ所村は危ないのです」
 
稼働している原子炉はもちろんのこと、運転を終えた後の核廃棄物でさえ
電源が喪失して冷却できなくると、途端に暴走して
高レベルの放射性物質を大量に撒き散らかして、そこにある全てのものを汚染する。
チェルノブイリでは事故から25年も経っているのに
今だに足を踏み入れることができない地域が多数存在する。
ジャーナリストの広河隆一氏は、
チェルノブイリの原発事故によって消えた458の村を取材し、
写真による記録を残した。
 
今、我々にできることは未来の住人に少しでも負の遺産を残さないことである。
原発を受け入れて、その恩恵を享受してきた私達だが、
これからは子孫のためにも、原発について一人一人が認識し、
節電を徹底して太陽エネルギーを活用するなど
原発に頼らない生活を早急に模索していかなくてはならないと思う。
 
映画『100,000年後の安全』の中で、
ミカエル(マイケル)・マドセン監督がオンカロを建設している
会社の責任者や専門家に繰り返し尋ねていた。
「もし、未来の人たちが
死の灰と知らずにオンカロを開けてしまったらどうするのですか?
そのような可能性はないと言えますか?」
 
 
※映画『100,000年後の安全』は現在、各地の劇場で上映中です。
ご興味のある方は是非ご覧下さい。
 
 
<2011・5・8>
 


















オンカロの内部














オンカロのしくみ






















フィンランドのオルキルオト島に建設中のオンカロ





















ミカエル・マドセン監督